石臼の雑記

ゲームと下ネタが主な話題のブログ

『野外』をテーマとしたえっちな映像について

 

唐突だが私は野外露出というジャンルが好きである。

性癖は性欲芽生えたての時期の前後の経験で方向性が決まるとはよくいったものだが、自身もそのような性的嗜好を歪められるまでに多くの野外露出スケベに触れてしまった1人である。(といっても野外露出している女性を生で見たわけではないが)

 

偶然目にした人生初のエロ本は、素人が野外露出を初体験して「最初は誰も来ないでって思ってたけど、だんだん『誰か通らないかな……』って思うようになっちゃいました……♡」とドキドキが快感に変わっていく様子をインタビューしたものであった。

初めてTSU○AYAの暖簾の向こうに一歩踏み出したとき、いかにもピンクピンクないやらしい様相のパッケージが並ぶなか、「s○x on the beach」と題されたAVのパッケージを見て股間に電流が走ったのを覚えている。

今思えばやらせ、作りものだったのかもしれない。しかし当時の自分の視界にあったものは屋外で衣類と恥という殻を脱ぎ捨てて裸を満喫する女性の姿だけだった。それで十分だった。

 

エロスとは隠すべきもの、恥じるべきものという認識だった若かりし自分の前に、「裸で何が恥ずかしいの?」と言わんばかりに全裸で、それも開放的なビーチで堂々とポージングをする女優の姿がある。それまでの常識を破壊されてしまった自分は、気付けば野外露出が最も正道な性癖であるかのように考えてしまう時期があった。

今でこそ多くのスケベに触れそれぞれの素材の良さを考察しようと努める程度には歳を経て、互いを尊重しあう精神を多少なりとも学ぶことができた(この精神をJapaneseで「和の心」と呼びます)。しかし、私はいまだストライクゾーンのうち多くを野外露出系統のシチュエーションに占められている。

大衆の面前に立たされて街行く人が向けるカメラにポーズをとっちゃうような開き直ってる女の子もいいし、人目につかない通りを誰にも見られていないか確認しながらコソコソと裸になっている女の子もいい。イメージビデオ的な作品ならば、わざわざ海外に出向いてエメラルドグリーンの海を全裸で満喫する非現実的なビジュアルも大好物だ。

 かくして幾年の時間をかけて、定期的に野外露出系の作品を求めてインターネットの海を漂流する男が爆誕したのである。命をかけてかかってこい!!(1997年7月上映)

 

そんな多くの野外露出スケベを見続けてきた男がどうしても割り切れないことがある。大人になれない自分がいる。

というのも、そうした「お外で恥ずかしいことしちゃうドキドキ!」みたいな顔した映像、「イメージビデオ撮影でオーストラリアに!開放的な撮影をビデオにしました!」みたな顔して世に出回っている映像は、ことごとく映像の半分いくかいかないかくらいの時間で屋内(あるいは100%部外者の立ち入らない屋外である意味のない場所)に撮影場所を移していることである。

仕方ないのはわかる。市街地でえっちなことしてたら通報されちゃうもんね。海外でプライベートな場所を貸切るのにもお金かかるもんね。だけどパッケージには大胆な女優の姿しかいなかったはずだ。AVは作りものが全てということが公然の秘密だとしても、目指したかった方向は曲げちゃいけないはずなんだ。

野外で裸になる系の映像をゲットしてはこのような虚しさに襲われ、望んだものが手に入らなかったモヤモヤと沸騰しかけている精子のもどかしさが2重になって全身を疲労させる。このブログに自身の性癖を吐露し黒歴史に新たな1ページを刻んだところで、世の映像作品の未来が望む方向に変わるとは限らない。しかしそれでも誰かに伝えねばならないことがある気がして、この文章を書いた次第である。

 

余談(本題)だけど、もし本格的な野外露出映像が見たいなら、日本のより海外のポルノ映像を見たほうが当たりが多いと思います。「nude」「naked」「public」「street」「cmnf」あたりのワードをいくつか入れて検索すればそれっぽいのがヒットします。ヌーディズム万歳。というかアメリカには「nude in public」みたいな名前を含んだサイト、それも人で溢れかえるストリートで堂々と全裸で闊歩する系の野外露出映像専門のサイトが複数あるという。oh,嫉妬.

 さらに余談になると、そういった映像はだいたい撮影場所をバルセロナにしている印象があります。ヌーディストビーチがあるからついでにちょっと街中で全裸になってもセーフみたいな理屈なのかもしれません。どこでもドアがあったらバルセロナで裸の美女が街中に現れないかチェックすることを生業に生きていきたい人生だった。