石臼の雑記

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時間停止AVと和のこころ

「男性のセックスが粗雑なのは、AVのセックスを見たまんま真似しているせいだ。あのようなセックスは女性からすれば快感よりもむしろ痛いという思いが強い。あれは演技、偽物だ」という意見を見た覚えがある。

 

どんなものがよりよいセックス・あるべきセックスなのかは「正義とは何か、善とは何か」並のややこしいテーマになるので脇に置いておくが、少なくともAVに出てくるセックスが演技であることは素人目ならぬ童貞の目にもなんとなくわかる。パンパンと露骨に音を響かせるピストンは快感のためではなく演出のためだと思われるし、アンアンと喘いだり棒読みの淫語を囁いたりといった様はまさに撮影用の姿といった感じだ。

特にそのなかでも贋作にまみれているのが時間停止シチュ系のAVである。出演する男優に真に時間停止を行えている能力者は近年ではもはやほとんど見られず、女優に止まったフリをさせているのが大半だ。太古よりJAPANに受け継がれてきた数多のニンジャ・スキルを用いた本物の時間停止映像はもはや絶滅したといっていいだろう。最近だと思っていたNARUTOの連載終了が4年前という事実に気付いて頭を抱える2018年、当ブログ読者諸兄はいかがお過ごしだろうか。今回はそんな時間停止AVについて語ったり語らなかったりしていきたい。

 

ことの起こりは今週の水曜日深夜1時。

「時間停止AVでシコりてぇ」

と唐突に衝動が沸き起こってきたところから始まる。本当に唐突なのだが、性欲とはそういうものなのである。しかし時間はすでに深夜、ましてや翌日が休日でもなんでもない週のど真ん中である。いまから良さげな時間停止AVをじっくり吟味する時間はない、しかし時間停止AVで射精に至りたい。そんな葛藤の末にとった方法が「適当な時間停止AVをDMMからチョイスし、1分くらいのサンプル映像のみをもとに射精して速やかに寝る」という不誠実の極みみたいな射精である。今回のブログ記事の内容は、そんな平日深夜の賢者モードタイムに辿りついた気がした考察をもとに書いている。

 

賢者になってまず最初に脳裏に浮かんだのは、「ある種二次元の一枚絵とは全部時間停止AVと本質的には同じなのでは?」ということだ。

時間停止AVにおいては特定のシチュエーションで女性を停止させ、そこを男優があんなことやこんなことをして女体を堪能するというのが大まかな流れである。対して二次元の絵でシコるとはどういうことなのかだが、裸の女の子あるいはセックスしている最中の女の子、あるいは普通に服を着ている健全な絵かもしれない。ともかく女の子のある特定の一瞬の姿を固定し、細部までいくらでも観察し放題・吟味し放題という状況を発生させるのが「絵」なのだ。この原理でいくと時間を切り取っているという意味では写真も3次元でありながら時間停止なのではとなるのだが、ともかく特定の一瞬を無限に堪能できる状況を発生させているという点では二次元の絵(あるいは写真)も時間停止と同じかもしれないという話なのだ。

 

女の子の裸体(あるいはセックス)という概念を正確に伝播することが目的なら、絵より写真のほうが、写真より動画のほうが正確に情報を伝えることができるだろう。では動画があれば絵や写真はいらないのか?となればもちろんシコ猿の皆さまならそれは違うと心で感じていただけることだろう。特定の曲線、特定の体位、特定の表情。その一瞬一瞬を形として残し、いつまでも見ていられるシコアドバンテージはもはや語るまでもない。オカズ提供において映像と画像は需要を奪いあう敵対関係ではなく、互いに手を取り合いそれぞれのニーズに応えることができる共に生きる関係なのだ。本物のLOVE&PEACEがここにある。

話を時間停止AVに戻そう。一瞬を切り取り好きなだけ堪能するという画像の利点を3次元で再現しようという試みの時間停止AVだが(前提が合っているかは知らない)これは非常にクリエイティブな試みだと私は感じている。正確には賢者モードだった水曜深夜の私はそう感じていた。

写真がある現代でも「写真のように精巧な絵を描ける技術」が賞賛されるべきなのと同じように、一瞬を切り取れる方法があるからといって映像で時間停止を再現しなくていいとはならないのではないだろうか。その境地を目指そうとする情熱・技術・心を誰が笑うことができよう。

 

私は海外のAVにそこまで極端に明るくないので断定はできないのだが、時間停止AVの数に関しては(質はともかく)日本は他国よりそこそこ多い方なのではないかと感じている。いや、仮に数や質で劣っていたとしても、時間停止シチュを映像化してみようと踏み切った想いはきっと誰に無下にできるものでもないだろう。初代火影から受け継がれてきた火の意志は、今も生きている気がするんだってばよ。

時間停止シチュを撮ろうとする者がいる。あるいは絵として性癖を一瞬に込める者がいる。その事実があれば、わずかでもクールジャパンは日本にあるのかもしれないと思える、それでいい気がしてくるのだ。ブログのオチとしていいのかはともかく。